こんにちは、Dr.流星です。
「小児期逆境体験(ACEs: Adverse Childhood Experiences)」という言葉は、まだ一般的にはあまり浸透していないかもしれません。これは、子どもが幼少期に経験する虐待やネグレクト、家庭内暴力、親の精神疾患など、深刻なストレスとなる出来事を指す概念です。
小児期逆境体験は、米国を中心に近年急速に研究が進み、単に心の問題にとどまらず、脳や神経系の発達に長期的な変化をもたらし、成人期に至るまで心身の健康に多大な影響を与えることがわかっています。しかしながら、日本ではまだ一般的な認知が進んでおらず、小児科医や精神科医の中でも十分に理解されていないことが少なくありません。(私も絶賛勉強中です。内容は今後もアップデートしていきますね!)
本シリーズでは、小児期逆境体験が子どもの発達や精神疾患にどのような影響を与えるのか、①理解、②予防・支援、③年代別の特徴、に分けて、最新の文献や科学的知見に基づいて詳しく解説していきます。
小児期逆境体験 具体例
ではまず、小児期逆境体験(ACEs)とはどのような体験を言うのか、具体例を見ていきましょう。
これらの体験がいくつあるかによって影響の度合いも違ってきます。
身体的虐待(Physical Abuse)
- 殴る、蹴る、叩く、押し倒すなどの身体的な暴力
- 結果として身体に傷やあざが残る行為
精神的虐待(Emotional Abuse)
- 言葉や態度で子どもを脅したり、侮辱したりすること
- 罵倒、否定的な言葉、極度の批判や軽視
性的虐待(Sexual Abuse)
- 直接的な性的暴力や強制的な性的接触
- 性的な話題やイメージへの無理な暴露
身体的ネグレクト(Physical Neglect)
- 基本的な衣食住や安全な環境を提供しない
- 病気やケガの際に適切な治療を受けさせない
情緒的ネグレクト(Emotional Neglect)
- 子どもの感情や精神的なニーズに対する無視
- 愛情やサポートが欠如している家庭環境
家庭内暴力(Domestic Violence)
- 家庭内での親や兄弟間の暴力や虐待を目撃すること
- 怖れや不安を抱えたまま育つ環境
親の精神疾患(Parental Mental Illness)
- 親がうつ病、統合失調症、双極性障害、PTSDなどの精神疾患を抱えている場合
- 親自身の情緒不安定が家庭全体に影響する
親の薬物乱用やアルコール依存(Substance Abuse)
- 親が薬物やアルコールに依存している状況
- その結果として家庭が不安定になり、子どもが適切なケアを受けられない
家族の崩壊(Divorce or Parental Separation)
- 両親の離婚や別居
- 家族の突然の分離や片親との断絶
家族の刑務所収監(Incarceration of a Family Member)
- 親や兄弟が刑務所に収監されている状況
- 社会的な孤立や経済的困難の原因
いかがでしょうか。通常であれば体験しないことがほとんどではありますが、やはり体験していると強く影響を受けそうなものが多いかと思います。ましてや、これらの中から複数の体験があるとそのストレスや恐怖は計り知れないものとなるでしょう。子どもに体験させるべきではない体験とも言えるものですが、では、一体どのような影響や精神疾患との繋がりがあるのでしょうか。一緒にみていきましょう。
発達への影響(認知発達・社会性・行動特性など)
幼少期に深刻な逆境やストレスにさらされることは、脳の発達に長期的な影響を及ぼします。例えば 認知面 では、幼少期の逆境は子どもの学習能力や集中力の低下に結びつき、学業成績の不振や知能発達の遅れが報告されています。実際、逆境的体験が多い子どもほど学習障害や注意集中の困難を抱えやすいことが知られています。また 社会性の発達 にも支障を来たし得ます。幼児期~学童期にトラウマを経験した子どもは、他者への不信感や対人関係の困難を抱えやすく、年齢相応の社交スキルが育ちにくくなる傾向があります。例えば、トラウマを受けた子どもには引きこもりがちになったり興味関心を失ったりする子がいる一方で、逆に情動が不安定で攻撃的な行動(癇癪、乱暴な言動など)を示す場合もあります。このような内向き(不安・抑うつ)および外向き(攻撃性・反抗など)行動の問題は、累積した小児期逆境体験(ACE)のスコアと線形に関連することが研究で示されています。つまり、幼少期の逆境体験が多いほど、情緒や行動上の困難が複合的に現れやすいという量反応関係が認められるのです。
精神疾患との関連(うつ病・不安障害・PTSD・統合失調症など)
逆境的な小児期体験(ACEs)は様々な精神疾患のリスク因子であり、その影響は青年期から成人期にかけて一生涯にわたって持続します。大規模研究によれば、ACEが4つ以上ある人は、ACEがない人に比べてうつ病を発症するリスクが約4.6倍にも達し、自殺未遂のリスクは実に12倍以上に跳ね上がると報告されています。さらにACEが6つ以上と極めて多い場合、うつ病のオッズ比は約2.7倍、自殺未遂は約24倍、薬物乱用は約3.7倍、アルコール依存傾向は約2.8倍と大幅に上昇することも明らかになっています。このように幼少期の逆境体験は、うつ病や不安障害、物質依存(アルコール依存症、薬物依存など)、衝動的自己破壊行動など幅広い精神健康上の問題に強く関連しています。また、心的外傷後ストレス障害(PTSD)は幼少期虐待との結びつきが特に強い疾患の一つです。幼少期に虐待や暴力を経験した人は、成人後に複雑性PTSDや解離症状を呈するリスクが高く、慢性的なトラウマ反応を抱えやすいとされています。加えて、人格障害(境界性パーソナリティ障害など)もACEとの関連が指摘されており、実際に境界性人格障害患者の多くが幼少期の虐待歴を持つという報告があります。さらに近年のレビューでは、統合失調症などの精神病性障害においても幼少期逆境体験が有意なリスク要因であることが示されています。統合失調症患者は健常対照に比べて有意に高率でACEを経験しており、そのオッズ比はおよそ2.4倍との研究結果があります。幼少期の逆境は統合失調症の発症リスクを高めるだけでなく、発症後の症状の現れ方や重症度にも影響しうることが指摘されており、例えば、感情的虐待は統合失調症患者の妄想・幻覚症状と関連し(恐怖体験が妄想と繋がりやすいなど)、ネグレクトは陰性症状(興味・関心の喪失、活動量の低下など)の重さに関係する可能性が示唆されています。このように、小児期逆境体験は気分障害、不安障害、PTSD、物質乱用、人格障害、統合失調症まで多岐にわたる精神疾患のリスクを高め、その重複併存をもたらす複雑な臨床像につながり得ます。重要なのは、こうしたリスクは単一の要因ではなく累積したストレス負荷(dose-dependent effect)に応じて高まる点であり、幼少期の安全な環境づくりによる予防が後の精神疾患予防に極めて重要だということです。つまり、避けるに越したことはない体験(当たり前ですが)ということになります。
神経生物学的メカニズム(脳構造・神経伝達物質の変化、ストレス応答系への影響)
幼少期のトラウマは、脳の発達中枢や神経生理に有形無形の変化をもたらします。脳画像研究によれば、虐待やネグレクトなどACEを経験した人々では、扁桃体、海馬、前部帯状回(ACC)といったストレスや情動に関与する中枢の機能的異常が観察されます。具体的には、逆境体験者ではこれらの脳領域がストレス刺激に対して過敏に反応し、脅威となる刺激に注意が過剰に向いてしまう(過覚醒・過警戒)傾向が報告されています。例えば、大きな声(特に怒鳴り声など)や物が壊れる音に過剰反応してしまうなどが挙げられます。これは心的外傷を受けた子どもが些細な物音や人の表情に怯えやすくなる、といった臨床的観察とも一致します。さらに形態学的にも、幼少期虐待歴のある被験者では海馬や扁桃体、ACCの容積変化(萎縮や肥大)が認められるとの複数の報告があります。幼少期の慢性的ストレスは発達期の脳回路の配線に影響し、脳の可塑性に長期的な「傷跡」を残しうるのです。加えて、神経伝達物質や内分泌系にも適応的変化が起こります。幼少期から強いストレスにさらされると、生体のストレス応答系(視床下部-下垂体-副腎皮質軸=HPA軸)が頻繁に作動し、コルチゾールなどストレスホルモンの分泌パターンが乱れます。急性の強いストレスではコルチゾールが上昇しますが、慢性的なストレスに晒され続けると逆にHPA軸の反応性が低下し、平常時のコルチゾール低下とストレス時の反応鈍麻が生じることがあります(もっとも、この状態でも交感神経系など他のストレス系は過活動のままであることが多いとされます)。このような内分泌適応は一時的には身体を守る試みですが、長期的にはアロスタシス負荷(Allostatic load)といって心身に「摩耗」を引き起こします。実際、幼少期逆境の累積は思春期に測定した生理的ストレス負荷(アロスタティック負荷)の上昇と関連することが示されています。アロスタシス負荷の増大は、脳の中長期的変調に加え、免疫・代謝系の恒常性にも乱れを生じさせ、炎症反応の促進や神経ネットワークの過敏性・脆弱性につながります。加えて、近年の研究は、幼少期の慢性的ストレスが遺伝子発現のエピジェネティックな修飾をもたらすことにも注目しています。例えば、幼少期虐待を受けた人ではストレス応答を調節する遺伝子(グルココルチコイド受容体遺伝子など)のメチル化パターンに変化が生じ、ストレスに対する過敏性が生涯にわたり組み込まれる可能性があります。このように、ACEによる脳構造・機能の変化(扁桃体・海馬・前頭前野の発達異常など)と神経生物学的システムの恒常性破綻(HPA軸の調節異常、慢性炎症の促進、遺伝子発現変化など)が相まって、精神疾患発症の土台が形成されると考えられています。難しい話が続きましたが、つまりは、慢性的なストレス負荷をかけないためにも普段から子どもに安心と安全を与えることを心掛けなければなりません。
精神科での対応(診断・評価方法、治療アプローチ、支援体制)
臨床現場では「トラウマインフォームドケア(Trauma-Informed Care)」の姿勢が重要とされています。まずは精神科診療において、患者の幼少期に虐待や逆境がなかったか包括的に評価することが推奨されます。評価の結果、幼少期逆境体験の影響が示唆される場合には、その情報を治療計画に統合し、個別化された介入が検討されます。例えば、統合失調症の方では、虐待歴の種類に応じて症状への影響が異なる可能性があるため、それらを踏まえた治療・リハビリ計画を立てることが望ましいとされています。
治療アプローチとしては、まずは心理療法的介入が中心となりますが、詳細な説明はここでは省略します。トラウマ焦点化認知行動療法(TF-CBT)、トラウマ介入プログラム(例:CBITS=学校ベースの認知行動療法)、マルチシステミック・セラピー(MST)など児童思春期の発達段階に応じて個々のニーズに合った心理社会的介入があることを知っておいてください。加えて、併存する精神疾患(うつ病や不安障害、統合失調症など)に対しては、それぞれの標準治療(薬物療法や精神療法)を行い症状緩和を図ります。
支援体制としては、多職種連携と地域資源の活用が鍵になります。医療機関内では精神科医や臨床心理士、精神保健福祉士、看護師らがチームを組み、患者さんのニーズ(例えばトラウマに起因する対人不安や社会的問題)に総合的に対応します。必要に応じて児童相談所や福祉機関とも連携し、特に児童期患者では安全の確保を最優先します(もし現在進行形の虐待が疑われる場合には行政介入を要請)。また、患者さんや家族が地域の支援団体(トラウマサバイバーの自助グループ、虐待防止NPOなど)につながることも回復の助けとなります。トラウマインフォームドケアの理念に基づき、「安全・信頼・共同・選択・エンパワメント」といった原則の下、患者が安心して治療に参加できる環境作りが支援体制全体で図られています。是非、一人で抱え込まず、子どもの立場からでも親の立場からでも色々な人と関わりながら支援を受けることを考えてみてください。
次回予告
さて、次回は実際の「子育て目線」でこの小児期逆境体験の予防・支援についてみていきたいと思います。
その他、日頃の声掛けや関わり方についての記事も更新していきたいと思いますので、ご一読くださいね。
参考文献・情報源
参考文献・情報源
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